Hirofumi Yoshida - 吉田裕史

吉田裕史

吉田裕史:指揮者

東京音楽大学指揮科及び同研究科修了。ドイツ・イタリアで研鑽を積み、2007年ローマ歌劇場カラカラ浴場野外公演を指揮、2010年1月よりマントヴァ歌劇場音楽監督に就任。

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2008年12月30日 23:34

ミュージカル

ミュージカル「GIFT」を観に行ってきました。

 

もちろん、日本語での上演なので、予習していかなくても完全にストーリーが理解できてとても楽しめました。

やはり、リアルタイムにドラマが流れていくっていいですね!

 

オペラも、できるだけリアルタイムに楽しんでもらえるように工夫していかなければ、と改めて感じた今日の公演でした。

 

さて、今年も残すところあと一日となりました。

みなさん、素敵な大晦日を!

 

 

2008年12月28日 17:24

Montagna Fuji

Image017.jpg東京の中心からも、富士山がこんなに良く見えるとは!

 

以前に、赤富士と紅富士の違いについてこのブログにアップしたことがありますが、今日は夕焼けに映える富士を撮ってみました。

 

リヒャルト・シュトラウスが作曲した「アルプス交響曲」という曲がありますが、「交響詩富士」とか、「富士交響曲」という曲はあるのでしょうか?

 

(確か、交響詩「連祷富士」という作品があったと思いますが。。 演奏してみたいです!)

 

2008年12月26日 06:42

ひつまぶし

26122008 Nagoya.jpg今日は名古屋からです!

 

早起きしたので、窓越しに朝焼けを撮ってアップしてみます。 06:37の景色です。

 

この街には愛知県芸術劇場という素晴らしいホールがあります。数年前に、チャイコフスキーの「悲愴」を演奏したことを思い出しました。

 

お昼は"ひつまぶし"を食べたいと思います(笑)

 

2008年12月24日 16:53

素敵なクリスマスを!

昨日は、"オペラの国のクリスマス"へご来場いただきありがとうございました!

コンサートから一夜明けた今、聴きに来て下さった皆さん&ホールの雰囲気がとても素敵で、出演者ともども一緒に盛り上がることができたことを、とてもうれしく思い返しています。


みなさん、素敵なクリスマスを!

Boun natale!


吉田裕史

2008年12月23日 02:09

プッチーニ 2

イタリアン・クリスマスコンサート、いよいよ今日が本番です!
みなさん、16時に紀尾井ホールでお会いいたしましょう。


⑥ 「蝶々夫人」  1904年 ミラノ・スカラ座
長崎を舞台に、没落藩士令嬢の蝶々さんとアメリカ海軍士官ピンカートンとの恋愛の悲劇を描く。抒情的で美しい音楽にあふれた傑作。プッチーニは、この曲を書くにあたって出来る限りに日本に関する資料を集めた。当時の在イタリア日本大使夫人、大山久子に何度も会って日本の事情を聞き、民謡など日本の音楽を集めた他、その頃ミラノを訪れていた明治の有名な俳優川上音二郎とその妻川上貞奴一座のミラノ公演の舞台も見物している。


⑦ 「西部の娘」  1910年 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場
初演は大成功であったが、今では上演機会の減った作品。1849年から1850年にかけての冬、ゴールドラッシュで沸くカリフォルニアが舞台、つまり"西部劇"。やはり、1850年代アメリカのポピュラー・ソングやアメリカ・インディアンの伝統的な歌の収集に努め、"老犬トレイThe Old Dog Tray"、野趣味あふれる"ドゥーダ・ドゥーダ・デイDooda,Dooda,Day"(この旋律はフォスター作曲の"草競馬"にも引用されている)など。また、ラグ・タイムのリズム、黒人音楽やジャズの導入は、20世紀音楽ではよく見られるが、プッチーニのオペラでは初めての試みであった。


⑧ 「つばめ」       1917年 モンテカルロ歌劇場
ウィーンの劇場からの依頼によって作曲されたオペレッタ的でとてもエレガントな作品。第一次世界大戦のため、初演はウィーンからモンテカルロに変更された。ストーリーや舞台設定が「椿姫」に似ていることなどから、やや個性に欠ける作品とみなされている。「エドガール」、「ヴィッリ」の次に演奏される回数が少ない。


⑨ 「三部作」  1918年 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場
"外套" 
"修道女アンジェリカ"
"ジャンニ・スキッキ"

ニューヨークでの初演、またローマでのヨーロッパ初演における3作品の評価は、おおよそ共通していて、"外套"は一応の満足を受けたもののヴェリズモ・オペラの焼き直し、亜流であるとの評、"修道女アンジェリカ"は「失敗作」、そして"ジャンニ・スキッキ"は大絶賛というものであった。
プッチーニ自身は、これら3曲を一つのセットとして同時に演奏されることを望んだが、現実的には、3つのオペラ(それぞれ約50分)を上演し、舞台転換をすることを考えると終演までには4時間以上を要する(これはプッチーニの他作品すべてよりも、またヴェルディの殆どの作品よりも長い)こと、プリマ・ドンナ級ソプラノはどうしても2人を要するので、上演コストが高くつくこと、といった問題がありバラバラに(単体で)演奏されることも多い。


⑩ 「トゥーランドット」   1926年 ミラノ・スカラ座
プッチーニの突然の死によって、未完のままとなった中国の紫禁城を舞台にした作品。初演はイタリアにとっての国家的イヴェントと見做されるほど注目を集めた。初日当夜、プッチーニによる作曲部分が終わったところ(リューの自刃の場面)で初演の指揮者、トスカニーニは突然指揮を止め、聴衆に「マエストロはここまでで筆を絶ちました」(Qui il Maestro finí.)と述べて舞台を去り、幕が慌ただしく下ろされた。2夜目になって初めてアルファーノ補作部分(上述の如くトスカニーニによるカット処理後)が演奏された。
この「トゥーランドット」物語は、オペラだけでも少なくとも12人の作曲家の作品が存在することが確認されている。


本日演奏される曲目の解説:


① 「蝶々夫人」より 第2幕 蝶々さんのアリア "ある晴れた日に"


Un bel dì, vedremo ある晴れた日に見えるのよ。
levarsi un fil di fumo sull' estremo 遠い海のかなたに、
confine del mare. 煙が立ち、
E poi la nave appare. 船がやがて見えてくる。
Poi la nave bianca 真白い船は、
entra nel porto, 港に入って、
romba il suo saluto. 礼砲を打つの。
Vedi? È venuto! 見えるでしょう? (あの人が)着いたのよ!

(全訳)
ある晴れた日、海の彼方にひとすじの煙が上がるのが見えるでしょう。
やがて船が姿を見せます。
その真っ白い船は港に入り、礼砲を轟かせます。
見える? あの人がいらしたわ!
でも私は迎えには行かないわ。行かないの。
あそこの丘の端に立って待つわ、長い時間。
長い時間待ってもなんともないわ。
すると・・・人々の群れから離れ
小さな点のように見えるひとりの人が
丘に向かって来るわ。

誰でしょう、誰かしら。
どんなふうにして着いたのかしら。
なんと言うでしょう。なんて言うかしら。
遠くから 「蝶々さん」 と呼ぶでしょう。
でも私は返事をしないで、隠れているわ。
それは、、ちょっとはいたずらでもあるし、
久しぶりに会うので喜びに死んでしまわないためでもあるのよ。
それであの人は少しばかり心を傷めて呼ぶでしょう。呼ぶわ。
「かわいい妻よ、美女桜の香りよ」
これはあの人が来た時私につけてくれた名前なの。

 


② 「トスカ」より 第1幕 トスカとカヴァラドッシの2重唱 "マリオ、マリオ、マリオ!"


ナポレオンによる共和国樹立で、一度は王政から解放されたローマ。しかし、英雄失脚の誤報に反動勢力が盛り返し、都は警視総監スカルピアの恐怖政治におののいている。反体制派の画家カヴァラドッシは教会内でマグダラのマリアの絵画制作に余念がない。そこへ恋人の歌姫トスカが登場。カヴァラドッシへの愛を歌い上げながらも、彼の周辺に別の女性の影を感じ、小さな嫉妬の炎を燃やします。

 


③ 「トスカ」より 第1幕フィナーレ スカルピア、合唱 "テ・デウム" 


スカルピアが登場。来合わせたトスカの嫉妬心を玩びながら彼女への情欲を募らせる。 聖歌隊による圧倒的迫力に満ちたテ・デウム(カトリック教会の聖歌の一つ)。

 


④ 「ラ・ボエーム」より 第3幕 マルチェッロとミミの2重唱 "マルチェッロ、助けて!"


町外れの酒場で絵を描く仕事をしているマルチェッロ。彼の元にある日ミミが尋ねてきます。ロドルフォが私の事を疑わしげに思っているのではないかと、どうか助けてほしいと・・・

 

⑤ 「トゥーランドット」より 第3幕 王子カラフのアリア "誰も寝てはならぬ"


このアリアは最終幕である第3幕で、カラフによって歌われます。第2幕において、カラフはトゥーランドット姫への求婚者にだされる3つの難題を見事に解決しました。それにも関わらず、わがままな姫はカラフとの結婚に難色を示します。そこでカラフは自分の名前を夜明けまでに当ててみせれば、結婚を諦めましょう申し出ます。ただし、名前を解き明かせなかったら、カラフとの結婚を姫は承諾しなければなりません。そこで冷酷な姫は自国の国民に対し、カラフの名を解き明かすまでは寝ることを禁ずるという無茶苦茶なお触れを出します。そして、もし誰も解き明かせなかったら、国民を皆殺しにするとまで言うのです。

2008年12月21日 00:00

プッチーニ 1

 

ジャコモ・プッチーニ (Giacomo Antonio Domenico Michele Secondo Maria Puccini, 1858年12月22日 、ルッカ生まれ)

 

さて、今宵、コンサートの最後を飾るのは、イタリアが生んだ偉大な劇場作曲家、ジャコモ・プッチーニです。

 

今年、世界中がその生誕150周年を祝い、日本でも、最もなじみ深く、愛されているオペラ作曲家の一人ではないでしょうか。イタリア北部の街トリノで開かれた冬季オリンピックで、荒川静香さんがオペラ「トゥーランドット」からの音楽を選んで氷上を舞い見事金メダルを獲得したこと、また、日本を題材にしたオペラ「蝶々夫人」を書いているということも、日本で親しまれている理由の一つかもしれません。

 

「トゥーランドット」より "誰も寝てはならぬ"のメロディーは、一時期、携帯電話の着メロのダウンロード数が1番多かったそうです。(この話をイタリア人にすると、まずはとても驚き、そして日本でオペラという芸術がこんなにも受け入れられていることに感嘆します。)

 

さて、プッチーニの音楽の特徴は、とても親しみやすいメロディーにあると言って良いでしょう。美しく抒情的で、一度聴いたら忘れられない旋律に満ち溢れています。そして、これはあくまでも私見ですが、、歌い回しや音楽のうねり方が、とても私たち日本人好みで、"演歌"に通ずるものがあり、そのフィーリングは確実に私たちのDNAの中に組み込まれていると思います。

 

イタリアにいると、「ヨーロッパからはるか彼方にある日本で、どうしてそんなにオペラが親しまれ、愛されているの?とても不思議なのだけど・・・」という質問をよく受けます。私は、「ちっとも、不思議ではありませんよ。"カラオケ"がどの国で生まれたかご存知ですよね?そう、私たち日本人は歌が大好きなのです。もしかすると、"歌ごころ" という点においては、イタリア人よりも上かもしれませんよ。」と自信たっぷりに答えると、ほとんどの場合、(これは一本取られたという表情で)「なるほど、、そうかもしれないね。。」という答えが返ってきます。でも、さすがにイタリア人、ここで終わることは滅多にありません。最後の最後に、とても得意気に、「でも、プッチーニはイタリア人だということをお忘れなく!」と締めくくります(笑)

 

このイタリアが生んだ偉大な作曲家、ジャコモ・プッチーニは19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍しました。ヴェルディ、ワーグナーの両巨頭がオペラ作曲家としてロマン派の一時代を築き、そのあまりにも崇高、重厚となった作品群に対するアンチテーゼとして、人々は分かりやすく刺激的なヴェリズモ・オペラに熱狂していた、、そんな時代にプッチーニはイタリア・オペラ界に颯爽と登場しました。

 

18歳の時に、生まれ育った街ルッカからピサまで(21世紀の今でも、電車で30分かかります!)歩いて往復してまでヴェルディの「アイーダ」を見に行き、その圧倒的なスケール感と劇場空間をフルに使って再現されるスペクタクル・ドラマに心奪われ、生涯を捧げてオペラ作曲家になろうと決心したプッチーニ、その作風、作品を生み出す動機、そして彼の作品に対する意図は次のような彼自身の言葉から読み取ることができます。

 

 「私は、劇場のために作曲することを神に命じられた!」
 「いい台本がなくては私の音楽は役立たない・・・」
 「私は聴衆に一歩先んじるが、決して数歩は先んじない。」

 

まさに、劇場という空間をドラマで満たすためにその人生を捧げたといっても過言ではないでしょう。決して、独りよがりな自己陶酔に陥ることなく、良い意味で大衆的な、最上級のエンターテイメントを"劇場の中"で提供することをめざし続け、その目的を果したといえます。

 

さて、プッチーニが生涯に作ったオペラは、「三部作」を1曲と数えると、たった10曲しかありません。

 

① (妖精)「ヴィッリ」  1884年 ミラノ・スカラ座
一幕物オペラ作曲コンクールに応募するも、落選。ミラノでの初演はまずまずの成功で、リコルディ社に認められる。

 

② 「エドガール」  1889年 ミラノ・スカラ座
初演は、大失敗に終わり、今日では滅多に演奏されることのない作品。ストーリーに脈絡がなく、どう考えてもつじつまが合っていない。
日本初演は、指揮:吉田裕史 演出:ダリオ・ポニッスィによって行われた。

 

③ 「マノン・レスコー」  1893年 トリノ・レージョ劇場
ついに大成功をおさめる。なんと6人もの台本作家とのコラボレーションの賜物であった。この成功によって、ヴェネツィア音楽院から院長就任の依頼が来るも断る。作曲活動以外にはまったく興味がなかったようである。プッチーニはマスネが先に作曲してしまっていた「マノン」との違いを出すため、ヒロインの性格に重きをおいた「マノン」にたいして、物語性を重視する筋立てにした。そのため「マノン」では割愛されていた「植民地ルイジアナ篇」を新たに第4幕として加え、そこでの悲劇的末路を最大の見せ場に仕立て上げた。

 

④ 「ラ・ボエーム」  1896年 トリノ・レージョ劇場
とことん台本にこだわったこのオペラで、プッチーニはまたもや大成功をおさめる。今日、世界中で最も多く演奏される曲となる。例えば、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場では歴代1位の上演回数(1200回近く)を誇る。ちなみに第2位は「アイーダ」。「ラ・ボエーム」とは、「ボヘミアン」のことであり、1830年当時のパリに多くいた、みな貧しく、けれども、みな希望に胸あふれ、生き生きと過ごしていた芸術家の卵たちを指している。プッチーニも20代で故郷ルッカからミラノに出て、苦学に励んでいたことから、このオペラに特別な愛着があったと言われている。

 

⑤ 「トスカ」  1900年 ローマ・コスタンツィ劇場
半分史実に基づいたこのオペラ(このドラマは1800年6月14日に設定されている)は、ヴェリズモ的要素を持ち、プッチーニの作品の中では珍しく、"思想的"(啓蒙思想的)なテーマを扱っている。また、露骨な暴力描写、主役3人全員が舞台上で死ぬこと、そして扇情的な音楽など、当時としてはかなり刺激的であった。

 

つづく。

2008年12月19日 02:59

ローマのクリスマス

Termini Natale.JPGローマ・テルミニ駅(中央駅)、コンコース。

 

毎年、この季節になるとクリスマス(イタリア語でNatale、ナターレ)のデコレーションで駅は華やかな雰囲気になります。

 

追伸:23日のコンサートは、お陰さまで完売御礼となりました。

みなさん、紀尾井ホールでお会いしましょう!

2008年12月17日 23:58

マスカーニ

mascagni.jpg

ピエトロ・マスカーニ(Pietro Mascagni, 1863年12月7日、リヴォルノ生まれ)

 

ヴェルディが数々の傑作を生み出し、イタリア・オペラの"ブランド"を世界中が改めて認めることになった後、19世紀から20世紀初頭にかけて、イタリア・オペラの新しい流れである "ヴェリズモ・オペラ" (verismo opera)の時代がやってきます。写実主義とも訳される "Verismo" は英語のrealismにあたり、この時代の文学作品などにも適用される言葉ですが、オペラの世界においても "一般庶民の現実的な日常生活" から題材をとり、その筋書きをリアル&ストレートに描写するという手法が大衆の心を掴むようになります。それは、どんどん高尚化し長大化していた一方のオペラに対するアンチテーゼでもあったようです。

 

マスカーニ作曲の「カヴァレリア・ルスティカーナ」(初演1890年)は、まさにこうした傾向を示す作品で、レオンカヴァッロ作曲のオペラ「道化師」(同1892年)とならび、ヴェリズモ・オペラを代表する作品です。「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、"田舎の騎士道"といった意味ですが、シチリア島を舞台に男女の三角関係を、まるでマフィア映画のように劇的に描いたこのオペラは、1890年ローマで初演されるや否や爆発的に流行し、オペラ史上に残る記録的な大ヒットとなりました。

 

あらすじ: シチリア島のある村。復活祭の朝。トゥリッドゥは、かつて美しい女ローラの恋人であったが、ローラは彼の兵役中に馬車屋のアルフィオと結婚してしまった。除隊後、帰郷したトゥリッドゥは、一度はローラを忘れるために、村娘のサントゥッツァと婚約までしたが、結局は留守がちのアルフィオの目を盗んでローラと逢引を重ねる仲になってしまう。その事を知ったアルフィオは激怒し、復讐を誓う。

 

(美しく、情熱的な間奏曲)

 

教会のミサが終わる。アルフィオはトゥリッドゥの勧めた杯を断り、2人は決闘を申し合わせ、アルフィオはいったん去る。トゥリッドゥは酒に酔ったふりをしながら、母に「もし自分が死んだらサントゥッツァを頼みます。」と歌い、出て行く。決闘。トゥリッドゥの死で幕。

 

本日は、このオペラから"間奏曲"(Intermezzo)、そして合唱とメッゾ・ソプラノによって感動的に歌いあげられるシーン、"歌いましょう!"(Inneggiamo!)をお届けいたします。

 

① マスカーニはミラノでポンキエッリらに師事して作曲を勉強しました。ちなみにその時の学友で、貧乏時代から一緒に、しかも同じ部屋で共同生活までしたのが、同じく後の大オペラ作曲家となるジャコモ・プッチーニでした!


② 「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、1889年にイタリアの音楽出版社ソンツォーニョ社主催の1幕もの短編オペラ作曲コンクールにおいて一等入選を果たし、その後の爆発的ヒットにつながります。(ちなみにプッチーニは、その前の1883年に同じコンクールに応募しましたが、あえなく落選しています。しかし、その後ソンツォーニョ社のライバルである音楽出版社リコルディ社にその才能を見いだされ、ヴェルディに次ぐ大オペラ作曲家への道を歩むことになりました。)   


③ このオペラの初演がどれほど成功を収めたかというと、、終演後のマスカーニに対するカーテンコールが60回、ソンツォーニョ社と15000リラ(当時、10年分の年収)で独占契約を結び、初演後3年間のうちにイタリアの66都市、イタリア国外の62都市で上演という記録が残っています。


④ マスカーニは日本を題材にしたオペラを書いています。当時、ヨーロッパで流行していた"ジャポニズム"の影響も受けて書かれた「イリス」(あやめ)というタイトルのこの作品、舞台はもちろん日本という設定なのですが、登場人物の名前がなんと"大阪さん"や"京都"さんなのです(笑) この作品、イタリアでは今でも、数年に一度の割合で演奏されているようです。


⑤ 映画「ゴッドファーザー・パート3」では、パレルモのマッシモ歌劇場(撮影には別の劇場が使わていますが)を舞台にして、「カヴァレリア・ルスティカーナ」が上演されるシーンが出てきます。映画のストーリーとこのオペラの筋書きが暗喩的に組み合わされていて、フランシス・コッポラ監督(シチリア系アメリカ移民)の想いや意図が感じられます。ぜひ、オペラを全編見た後で映画をご覧になってみてください。


⑥ 私は昨年、カラカラ浴場野外劇場でレオンカヴァッロ作曲のオペラ「道化師」を指揮してデビューしました。「カヴァレリア・ルスティカーナ」や「トスカ」(ヴェリズモ的オペラのひとつ)の世界初演を行った同歌劇場では、特にヴェリズモ・オペラの分野において特筆すべき伝統が脈々と流れています。主役(カニオ)を歌ったニコラ・マルティヌッチは70歳を過ぎた今も美しいベルカントを聞かせてくれる世界最高のテノールですが、その溢れんばかりのオペラに対する情熱と想像を絶する経験値の高さから、立ち稽古(演出家によるリハーサル)中に"ヴェリズモ・オペラはかくあるべき!"と情熱的に語り始め、練習が中断(時には何十分も(笑))してしまうことがしばしばありました。しかし、美しい歌声は言うまでもなく、舞台上での彼の迫真の演技は大変感動的で、アリア"衣装をつけろ!"を歌った後に(野外劇場であったにも拘わらず)、聴衆のすすり泣く声が聞こえてきました。やはり、オペラは最高です!

2008年12月15日 00:00

ヴェルディ 3

Verdi-kun.JPG今日は、演奏曲目の解説をアップします。

(写真は、"ヴェルディ君"(笑)。背中に磁石が入っていて、いろいろな場所にくっつきます。)

 

曲目解説:

 

① 「アイーダ」より第2幕、第2場 "凱旋の場面" 
若き将軍ラダメス率いるエジプト軍が凱旋し、民衆や祭司達はその勝利に「エジプトに栄光あれ!我らの王に栄光あれ!神に感謝を捧げよう」と声高らかに歌います。数あるオペラの中でも、最もスペクタクルなシーンです。

 

Gloria all'Egitto, ad Iside che il sacro suol protegge!
(エジプトとこの聖なる地を守るイシスの神に栄光あれ!)
Al re che il Delta regge inni festosi alziam!
(デルタを統べる王にわれらの喜びの讃歌をとなえん!)
Gloria! Gloria al re! 
(栄光あれ! 王に栄光あれ!)

 


② 「アイーダ」より第1幕、アイーダのアリア "勝ちて帰れ!"
エジプト国中が、これから出陣するラダメス将軍を激励しています。皆が去って、一人残ったアイーダは、自分の祖国エチオピアを討ちに行く恋人ラダメスを送りながら、その心の葛藤を歌います。

 

Ritorna vincitor!... e dal mio labbro, uscì l'empia parola!
("勝ちて帰れ!"... こんな忌まわしい言葉を私が口にするなんて!)

 

③ 「椿姫」より第2幕、ジェルモンのアリア "プロヴァンスの海と大地"
ヴィオレッタに心を奪われ、彼女との隠棲生活を続ける息子アルフレードに、父、ジェルモンが切々と歌い上げます。 「故郷のプロヴァンスを思い起こして帰ってきておくれ。いったい誰がこの素敵な故郷を忘れさせてしまったのだ。。」 と。バリトン歌手にとって、もっとも魅力的なアリアの一つではないでしょうか。

 

Di Provenza il mar, il suol, chi dal cor ti cancello?
Al natio fulgente sol, qual destino ti furò?...
(プロヴァンスの海と、その地を誰がお前に忘れさせたのだ? ふるさとの輝く太陽を、何がお前から奪ったのだ。思い出しておくれ、そこで喜びがお前に輝いていたことを、神様が私をここへ導いてくださったのだよ。・・・)

 

④ 「リゴレット」より第3幕、マントヴァ公爵のアリア "女なんて気まぐれさ、、"あまりにも有名なこのアリアは、"女心の歌"と呼ばれていますが、実は気まぐれなのは女たちではなくむしろ公爵の方ですから(笑)、これは自分の浮気心をカモフラージュするための歌かもしれません。さて、軽快で覚えやすいこの"女心の歌"が大ヒットすることを事前に確信していたヴェルディは、この曲を公演初日まで秘密にするため、総リハーサルの朝(初演の3日前)にやっと公爵役のテノール歌手に楽譜を渡しました。それでも、初公演の翌日にはヴェネツィア中でこの歌が歌われていたというのですから、その人気ぶりがうかがわれます。

 

La donna è mobile, qual piuma al vento,
(風に舞う羽根のように女は気まぐれ、)
muta d'accento e di pensiero.
(言葉も思いもすぐに変えてしまう。)
Sempre un amabile, leggiadro viso,
(いつも愛らしく優しげなあの顔で、)
in pianto o in riso, è menzognero.
(泣いたり笑ったりするのもみないつわりなのさ。)

2008年12月13日 00:22

ヴェルディ 2

 

"ヴェルディ" の続きです。

 

第3期は1871年の「アイーダ」以後で、ヴェルディの完成期と言えます。この時期に3作のオペラが作られました。

 

サッカーのワールドカップでも使用され、今や世界中の人々から愛される作品となった「アイーダ」。この一度聴いたら二度と忘れることのできない勇壮なメロディー(凱旋行進曲)が流れる"凱旋のシーン"は、オペラ史上最もスペクタクルな場面として、ヴェローナの屋外オペラフェスティヴァルやローマのカラカラ浴場野外オペラにおいても、メイン・プログラムとして繰り返し上演され続けています。


人間の持つ感情の中で最も激しく、抑えがたく、時には人生を破滅に導くほどに厄介な感情、"嫉妬"。一人の気高き英雄が部下の奸計にはまり、この嫉妬という感情に抗しきれず最愛の妻を殺し、最後には自身も自刃する、、この「オテッロ」というオペラほど、"感情と音楽がシンクロ"したドラマティックな作品はありません。


さて、「アイーダ」から「オテッロ」が書き上げられるまでになんと16年ものブランクがあったので、人々は皆、ヴェルディはもうオペラを書く情熱を失ってしまったのではないかとVerdi davanti a casa natale.JPGのサムネール画像のサムネール画像心配し、待ちに待った"オテッロ"が発表された時には誰もがこれが最後の作品となるだろうと考えました。ところが、情熱を失うどころか、さらに作曲技法に磨きをかけた彼は、なんと80歳の時に最高傑作「ファルスタッフ」を作曲します。それがまたオペラ・ブッファ(お笑い系オペラ)というジャンルの作品だったので、さらに世間を驚かせました。そして、生涯最後のこの作品、その最後のセリフとして、「世の中なんて全て冗談だよ」(Tutto nel mondo è burla)"と言ってのけるのです。全人生を通して、常に"進化形"であり続けたヴェルディの面目躍如たる所以ではないでしょうか。この3作品は、どの作品もそれまでの作品以上に強烈な個性を放ち、そのどれもが"究極の完成品"となっています。

 

24. アイーダ、カイロ
25. 「オテッロ」、ミラノ
26. 「ファルスタッフ」、ミラノ

 

以上26作品の中には、皆さんがすでに御存知の曲もかなりあるのではないでしょうか。

 

(※)イタリアには、サッカーに例えるとセリエAに相当する"国立歌劇場"が13あります。そのほとんどは、規模の大きな(人口の多い)街にあり、北から順にご紹介すると:

 

ミラノ、スカラ座 (1778年に杮落し)
ヴェネツィア、フェニーチェ劇場 (1792年)
トリエステ、ヴェルディ劇場 (1801年)
トリノ、レージョ劇場 (1740年)
ヴェローナ、屋外オペラフェスティヴァル (1913年)
ボローニャ、市立劇場 (1763年)
ジェノヴァ、カルロ・フェリーチェ劇場 (1828年)
フィレンツェ、五月音楽祭・市立劇場 (1862年)
ローマ、オペラ座 (1880年)
ナポリ、サン・カルロ劇場 (1737年)
カリアリ、オペラ劇場 (1993年)
バーリ、ペトゥルゼッリ劇場 (1903年)
パレルモ、マッシモ劇場 (1897年)

 

となっていて、これら国立歌劇場の下にセリエBに相当する"伝統的劇場"(Teatro di tradizione)、セリエCに相当する"その他の劇場"(Altre Istituzioni)、そして"音楽フェスティヴァル"(Festival di teatro musicaleというカテゴリーがあります。

 

① V E R D I の名前は、当時オーストリアの支配下にあったイタリア国民にとって、口に出すことを禁じられていた初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の名前を呼ぶ代わりに使われました。"Vittorio Emanuele Re Di Italia"(イタリア国王 ヴィットーリオ エマヌエーレ)の頭文字を合わせると奇しくもVERDIとなるからです。Viva Verdi!(ヴェルディ、万歳!)という言葉がイタリア全土で大流行しました。


② ワーグナーとヴェルディが、まったく同じ年(1813年)に生まれたというのはなんという偶然でしょうか。この2人の天才作曲家は常に世間から比較され、終生、ライヴァルであり続けました。


③ 生粋のイタリア人であるヴェルディですが、「ドン・カルロ」を始めとしてかなりの作品を、まずはフランス語で作曲しています。どうやら、かなりフランス語が得意だったようです。このことは、当時、生地ブッセートがフランスに占領されていて、小学校の授業がフランス語で行われていたことと無関係ではなさそうです。                          


④ 「ナブッコ」の大成功は、ヴェルディにオペラ作曲家としての確固たる地位をもたらしました。この頃、祖国統一運動が異常な高まりを見せていたこともあって、この曲の中で歌われる合唱"想いよ飛べ、金色の翼に乗って!"(Va pensiero!)は第二の国歌と呼ばれるまでになりました。イタリアでは今でも、歌劇場を舞台として、国家にとって重要な式典などが開催されることがありますが、その際にこの曲が演奏されると "感極まって" "興奮のあまり"2階や3階のバルコニー席から1階のプラテーア席(平土間席)に落ちてくる人がいるそうです(笑)。


⑤ 昨年、エジプト国立カイロ歌劇場で「アイーダ」を指揮した時のエピソードです。カイロはこのオペラの世界初演の地ですから、オーケストラも当然のことながら、この曲を知り尽くしていますし、相当の誇りと愛着を持っています。初日の練習の後、オーケストラのメンバー数人が、「マエストロ、我々はこの曲を良く知っています。何百回も演奏してきましたし、初演以来の伝統がありますから!」と話かけてきました。練習の2日目、2幕の"凱旋の場"を練習した時のこと、南国の温暖な陽気のせいでしょうか、ファンファーレのリズム感が何となく"マイルド"だったので、「みなさんの演奏は本当に素晴らしいです! でも、この部分は、イタリアで演奏されているヴェルディのリズム感でお願いします。」とだけ伝えました。すると、驚いたことに、私が思っていた以上にシャープでヴィヴィッドなリズム、そして勇壮な音楽が流れ出しました。しかも、たった1回の説明ですぐに。「音楽って、本当に世界共通の言語なんだ。"ヴェルディのリズム感、、"とたった一言伝えただけで、何十人もの音楽家が一瞬にして共通のフィーリングを感じとり、それがすぐに音に生まれ変わるとは!」 体験によって実感した瞬間でした。


⑥ 今年、パリ近郊で「椿姫」を指揮しました。パリ・ラムルー管弦楽団とヨーロッパの第一線で活躍する歌手たちとのゲネプロ(本番直前の練習)での出来事です。最終幕で、主人公のヴィオレッタが臨終直前でベッドに横たわり、主治医が彼女の往診に来て、その診察後に、召使いのアンニーナと会話をするシーンがあります。"先生、(ヴィオレッタの)具合はいかがでしょうか?" "残念ながら、そう長くは持ちません。。" 演出家の指示によって、このシーンの練習が何回か繰り返されました。すると、驚くべきことに、この部分を演奏するオーケストラの音色が、練習を繰り返すたびにどんどん暗く、深く、悲しみを秘めた音に変化していくのです。しかも、指揮者である私は指示を出していないにも拘わらず、勝手に(笑)。休憩時間、コンサートマスターとこのことについて話すと、「マエストロ、そんなに驚くことはありません(笑)。フランス人にとってイタリア語は、ちょっとした"方言"みたいなものですから。日本でも、東京と大阪の言葉は少しばかり違うとお聞きしたことがありますが、、似たような感じではないでしょうか。」との答えが返ってきました。"言葉が分かる →舞台上のドラマが理解できる →演奏(音楽)が変化していく"という、考えてみればとても自然な流れを再認識させられた出来事でした。

2008年12月11日 05:44

ヴェルディ 1

Verdi.jpg第1部は、ルネッサンス時代から19世紀までのイタリア音楽を、ほぼ歴史の流れに沿ってご紹介いたしました。

 

第2部は、ヴェルディ、プッチーニ、そしてヴェリズモオペラを心ゆくまでお楽しみいただきます。

 

まず最初にお楽しみいただくのは、"歌劇王"ヴェルディ・セレクションです。

 

ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi, 1813年10月10日、ブッセート(パルマ近郊)生まれ)

 

"歌劇王"、"イタリアの魂"とまで称されるオペラ作曲家、ヴェルディ。世界のどこかでその作品が演奏されない日はありません。特にイタリアのセリエB※クラス以上のオペラハウスにおいては、その年間プログラムにヴェルディの作品が一作も入らないということはほとんど無いと言っても過言ではないでしょう。


彼はその生涯に全部で26のオペラを作曲しました。

 

第1期の15のオペラは、主に愛国的なテーマに基づいて書かれました。3作目の「ナブッコ」の大成功によって、まずは、オペラ作曲家としての地位を確立します。(以下、改定版などを除く全作品リスト。作品の後の都市名は初演の地。)
 
1. 「サン・ボニファーチョの伯爵オベルト」、ミラノ
2. 「1日だけの王様」(にせのスタニスラオ)、ミラノ
3. 「ナブッコ」(ナブコドノゾル)、ミラノ
4. 「十字軍のロンバルディア人」、ミラノ
5. 「エルナーニ」、ヴェネツィア
6. 「2人のフォスカリ」、ローマ
7. 「ジョヴァンナ・ダルコ」(ジャンヌ・ダルク)、ミラノ
8. 「アルツィラ」、ナポリ
9. 「アッティラ」、ヴェネツィア
10. 「マクベス」、フィレンツェ
11. 「群盗」、ロンドン
12. 「海賊」、トリエステ
13. 「レニャーノの戦い」、ローマ
14. 「ルイザ・ミラー」、ナポリ
15. 「スティッフェリオ」、トリエステ

 

第2期は成熟期といってよいでしょう。ヴェルディの鮮烈な個性が、ますます発揮されながらも、よい意味での大衆性と娯楽性のある音楽作りが特徴となっています。


例えば、ほとんどのオペラにおいて、第2幕の第2場にすでに"お約束"となったスーパー・スペクタクル・シーンを配置しました。ほとんど全てのソリスト(主役級歌手)の登場に加え、時には100人を超える大合唱、そして大変華やかなオーケストラの音楽などが、聴衆の感動と興奮を引き起こしました。第2幕終了後の休憩(ほとんどの場合、メインの社交を楽しむ時間となります)を想像してみてください。ロビーやホワイエ で、シャンパンやワインを片手にした紳士淑女達が、たった今体験したばかりのエキサイティングなシーンについて、胸を躍らせながら夢中になっておしゃべりしている様子を!

 

台本の選び方や登場人物に対するこだわりはかなり独特で、社会的弱者や特異な者(職業、出自、性格、etc...)に対する眼差しは暖かく、そうした人物像の中に本質や真実を見出すという特徴があります。
"せむしの道化"、"ジプシーの老婆"、"高級娼婦"、"出生に秘密を持つ者"、"黒人の女占い師"、"陰謀に長けた者"、"異端審問官(宗教裁判官)"etc... と、ここまで挙げただけでも相当個性的なキャラクターのオンパレードなのに、さらに"殺し屋"?!まで登場するに至っては、大げさなほどにドラマティックと言われている最近流行りの"韓流"も真っ青です(笑)!
(本日演奏される曲は太字にしてみました。)

 

16. リゴレット、ヴェネツィア
17. 「イル・トロヴァトーレ」、ローマ
18. ラ・トラヴィアータ」(椿姫)、ヴェネツィア
19. 「シチリアの晩鐘」、パリ
20. 「シモン・ボッカネグラ」、ヴェネツィア
21. 「仮面舞踏会」、ローマ
22. 「運命の力」、ペテルブルク
23. 「ドン・カルロ」、パリ

 

つづく。。

 

2008年12月 9日 23:00

ドニゼッティ

donizetti.jpgのサムネール画像 ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti, 1797年11月29日、ベルガモ生まれ)作曲、オペラ「愛の妙薬」より "人知れぬ涙" (L'elisir d'amore "Una furtiva lacrime")

ロッシーニ、ベッリーニと並び19世紀前半のイタリアオペラ界を代表する作曲家であるドニゼッティ、早書きで多作だった彼は、生涯に70のオペラを作曲しました。

その彼の代表作品と言えるのがこの「愛の妙薬」です。ストーリー自体には少しばかり無理がある(ほとんどのオペラには、物語の設定に?!という場面があります (笑))のですが、この作品がただのオペラ・ブッファ(お笑いもの)の枠を超えて、何やらホロリとさせられる美しい作品に仕上がっているのは、登場人物の魅力的なキャラクターのおかげかもしれません。


大好きなアディーナ(村一番の美人で地主の娘)に、なかなか気持ちを打ち明けることができないでいる純情な青年ネモリーノ。"愛の妙薬"(媚薬)の力を借りてでも、なんとか彼女の愛を手に入れようとします。ところが、この妙薬はかなり高価。そこで、支度金を受け取るために、なんと命をかけて軍隊に入る約束までしてしまいます。


"そこまでして、この私を愛してくれているのね。私ひどいことしちゃったわ。。"と涙ぐむアディーナ。

その姿を見て、"アディーナが泣いていた、「人知れぬ涙」が浮かんでいた、、俺を愛してるんだ、神様、俺、もう死んでもいい、、、" とネモリーノ。 


テノールが歌う最高のアリアをお聴きください。

 

① いくら早書きとはいえ、ドニゼッティはこのオペラすべてを、作曲の依頼を受けてからたったの2週間で書き上げたそうです!


② ネモリーノが命をかけてまで手に入れたこの"愛の妙薬"(L'elisir d'amore)、オペラのストーリー上では、実はインチキな薬売りが売りつけたただの赤ワインという設定になっています。でも、結果としては彼女のハートを掴んだということからでしょうか、イタリアではL'elisir d'amoreという銘柄のワインが実際に販売されています(笑)。


③ 才気煥発で少しだけ気が強く最高に魅力的な女性(ソプラノ)、マイペースで世間知らず&一途な純情男(テノール)、かたや自信満々のナルシストでかなりイケてる伊達男(バリトン)という設定は、「カルメン」にかなり似ていますね。そして、このような"三角関係"はオペラの基本設定と言えるかもしれません。


④ 友人のテノール歌手が言うには、このアリアは、テノール歌手にとってその美しい声を披露するのに最適な曲だそうです。

2008年12月 7日 18:59

ローマ街道

350px-Map_of_Roman_roads_in_Italy.png"Tutte le strade portano a Roma" (すべての道はローマに通ず)という言葉があるように、古代ローマ帝国時代に整備された道は ローマ街道 と呼ばれ、軍事目的だけでなく物流面でも大きな役割を果たしました。

 

主な街道には:

 

アウレリア街道:ローマ→ジェノヴァ
アッピア街道:ローマ→ブリンディジ
アエミリア街道(エミリア街道)
カッシア街道:ローマ→アレッツォ
ティブルティーナ街道:ローマ→リミニ
フラミニア街道、ラティーナ街道 などがあります。

 

先日、ローマ近郊の街、リエーティ (日本の伊東市と姉妹都市!)に行った際に、via Salaria(サラーリア街道)を通りました。 この道はなんとアッピア街道よりも歴史が深く、その名前からも分かる(イタリア語でSale は塩の意味、つまりvia Salariaは"塩の道"という意味)ように、古代においては主に塩を運ぶ目的で使われていたそうです。

 

DSC00658.JPG "サラリーマン" の語源とも言われている、この塩という意味の単語Sale(サーレと発音)ですが、身近なところでは、他にも "サラダ" ("塩で味付けされた"の意味、イタリア語では insalata と言います。in+ saleの過去分詞形といったニュアンスでしょうか。)の語源ともなっているようです。

 

2000年以上経った今も 国道4号線 として立派に使用され続けているこのヴィア・サラーリア、総延長は208.2kmでローマからアドリア海側の街アスコリまでを結んでいます。 Blogで紹介しようと思って、写真を取っておいたのですが、、やっと今日、アップできました! この写真から、みなさんに"悠久の歴史"が少しでも伝わりますように。。

2008年12月 5日 06:00

ロッシーニ

200px-Rossini.jpgジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニ (Gioachino Antonio Rossini, 1792年2月29日、ペーザロ生まれ)作曲、オペラ「セヴィリアの理髪師」 (Il Barbiere di Siviglia)


さて、いよいよイタリアオペラ界最大の大御所、ロッシーニの登場です。アドリア海に面したペーザロで音楽一家に生まれた彼は、セミプロのトランペット奏者であった父親ジュゼッペ(本職は、食肉工場の検査官!)と歌手として活躍していた母親アンナのもと、子供の頃から正規の音楽教育を受けて育ちました。容姿はやや太り気味ですが、天使のような姿と言われ、かなりのハンサムだったようです。


イタリアのみならずヨーロッパの音楽シーンにおいて、天才作曲家としての名声を欲しいがままとしたロッシーニは、19世紀前半、つまり初期ロマン派のオペラ界を制覇した音楽家と言えるでしょう。それだけに、大変話題性のあった人物のようで、数々のエピソードや興味深い逸話はとても数え切れないほど残っていますが:

 

① あの(滅多に他人を称賛することのなかった) ベートーヴェン が、「セヴィリアの理髪師」を大絶賛した。(でも、ウィーンにおいてロッシーニの人気があまりにも高いことに愚痴をもらしていたようですが。。)


② 「ウィリアム・テル」を見た直後、ベルリオーズ は、「テルの第1幕と第3幕はロッシーニが作った。第2幕は、"神"が作った」と、畏敬の念すら抱いた。


③ ワーグナー に、「作曲家とはパレストリーナ、バッハ、モーツァルトそしてロッシーニのことだ!」と言わしめた。


④ スタンダール は、その著書"ロッシーニ伝"で、「ナポレオンは死んだが、また別の男が出現して、モスクワでもナポリでも、ロンドンでもウィーンでも、パリでもカルカッタでも、連日話題になっている。この男の栄光は、文明の及ぶ境界に制限されるだけである。しかもまだ32歳にもならないのだ」。


⑤ その一方で、なんと"料理の道"!?も志し、フランス料理によくある「○○のロッシーニ風」(ヒレステーキにフォワグラとトリュフのソテーを添えた「トゥールヌド・ロッシーニ」など)とは、彼の名前から取られた料理の名前である。


⑥ あまりにも料理が好きだったのか、料理の名前を付けたピアノ曲も作っている。

 

etc... 彼のエピソードには、本当に切りがありません。

 

それでは、そんなロッシーニが24歳の時に作曲し、一躍、ヨーロッパ中にその名声をとどろかせた最高傑作、オペラ「セヴィリアの理髪師」より第一幕、フィガロのカヴァティーナ(素朴な小曲という意)「ラ、ラン、ラ、レーラ...町の何でも屋に」(La ran la lera... Largo al factotum)をお楽しみください!

2008年12月 3日 18:25

ペルゴレージ

Pergolesi.jpg

4曲目に、オルガンのソロ演奏によって中世イタリアのクリスマスにちなんだ曲をお聴きいただいた後は、いよいよ"歌"(canto) の世界へ皆様を誘います。

 

ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルゴレージ (Giovanni Battista Pergolesi, 1710年1月4日、イェージ生まれ)作曲、オペラ「奥様女中」より アリア "私のおこりんぼさん"(La Serva Padrona "Stizzoso, mio stizzoso,")

 

さて、おおよそ歴史をたどって御案内して参りましたが、、お待たせいたしました! イタリアと言えば、歌の国!! ここからはいよいよ"歌"の世界を思う存分にお楽しみいただきます。 まず初めにお届けするのは、夭折の天才作曲家、ペルゴレージによって書かれたオペラ「奥様女中」より、アリア(ソロで歌われる曲)"私のおこりんぼさん"です。

 

 ペルゴレージは当時最も音楽が盛んであった街の一つ、ナポリの楽長にまでなった作曲家ですが、なんと26歳!という若さで亡くなってしまいました。その短い生涯の中で書かれた数あるオペラの中でも、この「奥様女中」は現代でも演奏される最高傑作です。とても簡単にあらすじをご紹介すると:


金持ちで気難しい年配男性のウベルトは、下男のヴェスポーネ(黙役)と女中のセルピーナを雇っています。ウベルトはセルピーナに、チョコレート(ドリンク)を持ってくるのが遅い!と言って腹を立てています。彼女はこの愚痴を軽く聞き流し、ウベルトが「自分は結婚するから、出て行け!」と言うのに対し、「だったら、私と結婚したら?」と、言い返します。美人で賢いセルピーナは、"ウベルトは絶対に私のことが好きなはず"と、自信を持っていて(かなり中略)、最終的には、ヴェスポーネの協力も得ながら"ある手"を使い、見事に奥様の座を射止めます。


"頭の良い、機転のきく、美しく魅力的なメイドさん"、、モーツァルトのオペラなどでもすっかりお馴染みのキャラクターですね。。

 

1. イタリア人の人生哲学は、mangiare, cantare, amore.(食べて、"歌って"、恋をして。)まさに、歌の国と呼ばれるにふさわしいフィロソフィーではないでしょうか(笑)。


2. このオペラ、演奏時間はなんとたったの50分強です。


3. それもそのはず、このオペラは"全1幕"(2部に分かれてはいますが)で、登場人物はたったの3人、しかも実際に"歌う"のは2人だけ!(ソプラノとバスのみ)。では、もう一人はというと、、演技のみの"黙り役"なのです。


4. さらにもう一点。このオペラは本来、独立した作品ではなく、「誇り高き囚人(prigioniero superbo)というとてもシリアスな作品の 幕間劇(インテルメッゾ) として作曲されました。ちなみに、この"本作品"、現代ではほとんど演奏されません。


5. この当時、"毎日 チョコレート を飲む"というのは、上流階級の証であるとされていました。オペラの中でもこの習慣は特徴的(時には揶揄として)に取り上げられ、モーツァルトの"コシ・ファン・トゥッテ"やR.シュトラウスの"バラの騎士"などに、チョコレートを飲む(運ぶ)シーンが出てきます。

 

2008年12月 1日 04:04

ヴィヴァルディ

vivaldi_5.jpg

3曲目は皆さん良く御存じの名曲、ヴィヴァルディ作曲の「四季」より"冬"です。

 

アントーニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ (Antonio Lucio Vivaldi, 1678年3月4日生)作曲、合奏協奏曲「四季」より "冬" (Le quattro stagioni "L'inverno")

 

ヴァネツィアで生まれウィーンに没し、その生涯に協奏曲だけでも500曲以上を書いた天才作曲家ヴィヴァルディ、実はオペラもかなり書いていて、なんと94曲も作った(本人談)そうです。


しかし、その生涯はいまだかなり謎めいていて、まだまだ不明な点が多いようです。「音楽の父」と言われ、バロック時代の代表的音楽家である、あの J.S.バッハ(1685-1750)ですら、ヴィヴァルディの曲を研究し、その中から10数曲を取り上げ、実際に編曲までしたにも拘らず、1926年にトリノ大学の図書館で直筆譜が発見されるまでは、ほとんどその活動について知られることはありませんでした。


本日は、あまりにも有名となったこの曲集 「四季」 より、今の季節に合った曲として、"冬"を選んでみました。演奏いたします第1楽章には次のようなソネットが添えられています。

 

        「厳しい風に身震いして凍えている。噛み付くような雪。
        足の冷たさを紛らわすために歩き回る。辛さから歯が鳴る。」

 

ソロヴァイオリンの重音が、歯の"ガチガチ"を表現しています。そんな情景を想像しながらお聴きになってみてください。

 

1. 赤毛であった(らしい)ヴィヴァルディ先生、実は、、"本職"はカトリックの司祭!そのため、「赤毛の司祭」としてヴェネツィア中で有名だったそうです。


2. 中学校の音楽の教科書にも登場し、今では "聴いたことがない人はいない"と言えるほどに有名となった「四季」ですが、イ・ムジチ合奏団の演奏によって大ヒット(1965年頃)する以前は、まったく知られていませんでした。大ヒットの要因は、レコード時代の到来(まだ録音可能時間が短かったSP盤にちょうど良い曲の長さだった)と、とても親しみやすいメロディー&歯切れ良いリズムにあったようです。


3. 前述の"イ・ムジチ合奏団"(I Musici)は、イタリアの室内楽団で1952年にローマの聖チェチーリア音楽院の卒業生12名が集まって結成されました。