Hirofumi Yoshida - 吉田裕史

吉田裕史

吉田裕史:指揮者

東京音楽大学指揮科及び同研究科修了。ドイツ・イタリアで研鑽を積み、2007年ローマ歌劇場カラカラ浴場野外公演を指揮、2010年1月よりマントヴァ歌劇場音楽監督に就任。

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2013年11月25日 04:01

カルーソー賞を受賞!


吉田裕史がイタリアのネットゥーノ市(ローマ近郊)から、

カルーソー賞を受賞いたしました。


この賞は、イタリアオペラの普及に貢献した外国人に与えられる名誉ある賞で、

今年で23回目の表彰となります。


今年7月に同市で行われた授賞式に、ボローニャ歌劇場での公演準備のため参加する事が叶いませんでしたが、遅ればせながら、ここに御報告させていただきます。



カルーソー賞.jpg

2013年10月18日 08:22

レプブリカ紙に記事掲載


イタリア二大紙の一つであるレプブリカ紙(La Repubblica)に、
吉田裕史についての記事が掲載されました。


レプブリカ紙、20131018 

吉田裕史、寺院でオペラを指揮する 

Japanese-Bolognese(日本人ボローニャを本拠地とする)

ルーカ・バッコリーニ


           ( クリックすると拡大します ↓ )

La Repubblica.png

ボローニャ歌劇場は彼に、マルティーニ神父の二つのインテルメッゾの横浜と京都での公演を託した。45歳、彼はヨーロッパでのしっかりした土台を持ち、6ヶ月前からボローニャに居を構えている。

黒い前髪の下に隠れた顔、やんちゃな雰囲気の髭を伸ばして、すべてを知っているにも関わらず相手の返事を待っているような機知あふれる吉田裕史は、ボローニャ歌劇場公演の日本でのイメージ・キャラクターである。まれに見る寛大さを持つこの指揮者は、6ヶ月前にボローニャの中心街、ダゼーリオ通りの近くに居を構えた。その場所から吉田は、礼儀正しさの中にも明確な野望を持ってイタリア・オペラへの階段を昇りつめる準備を始めた。それは彼にとって人生の選択であり、ボローニャ歌劇場が築き上げて来た歴史上にも、今まさにその輝きを反映させている。日本とは絆がますます深まり、オペラの海外における上演地としてのフロンティア(ジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーニのダブルビルが明日から横浜と京都で上演される)、そして支援者や観光における収穫が期待出来る場所となっている。

今回の旅は、ボローニャのシンボルである"二本の塔"のすぐ近くに住み、堪能なイタリア語を操り、オーケストラから好意を持たれている、文化大使としての彼と一緒に行われるが、この日の出る国において、信じ難い扉が開く事となった。日本の古都、京都にある17のユネスコ世界遺産のうちの一つである清水寺という仏教の寺院の聖なる境界をオペラが超えることになったのは、彼のおかげである。

吉田の説明では「この場所で公演するということは、このイベントが歴史的に重要なものであることを示しており、それ故に、日本政府はその実現のために大きな経済的援助を申して出てくれたのです。特別な許可無くては、この寺の聖域に入り込む事は決して出来なかったでしょう。いわば歌舞伎を教会で上演するようなものですから。これは特別な公演なのです。」(中略)

吉田はこの歌劇場のオーケストラとの仕事に誇りを感じていると言い、それは単なるお世辞ではない。「とても恵まれた状況にある事を理解しなくてはなりません。我々にとってスカラ座とフェニーチェ歌劇場の次に日本を訪れる歌劇場はボローニャなのです。日本には毎年のように、メトロポリタン歌劇場からロイヤル・オペラといったクラスの歌劇場やオーケストラが約20団体ほど世界中からやって来ます。ボローニャのオーケストラはその一つなのです。この事実を常に鑑みるべきなのです。」  

天才的なオペラ作曲家として知られるマエストロ・プッチーニですが、

このように、とてもチャーミングな小曲も作曲しています。

"Scossa elettrica" (電気ショック)




Questo pezzo fu composto da Puccini in occasione del convegno dei telegrafisti organizzato a Como nel giugno 1899.

Inizialmente era per pianoforte ma poi ne fece una versione per banda. 


(この曲は、1899年6月にコモで開催された国際電信会議のために、プッチーニによって作曲されました。

初めはピアノ曲として、その後でブラスバンド用にも編曲されています。)


自分の演奏を客観的に捉え、己が生きている時代を超え、
普遍的に魅力ある演奏を生み出し続けるため、常に留意すべき点とは:


・音楽に対する敬意(作品に対する敬意、作曲家に対する想い、時代背景への共感)
・様式感に対するセンスの研磨(国家、民族、時代、体制、主義、宗教、権力、、)
・歴史認識(人類史の中において、今、自分自身が存在しているこの時代をどう捉えるか)
・感受性の涵養(感動を生み出す源泉)
・目に見ないものに対する畏敬の念(インスピレーションの宿らないものは芸術にあらず)


その上で、国際的な日本人として、決してヨーロッパ至上主義に陥ることなく、

自らのアイデンティティーと美学を武器に世界で伍していくこと。



2012年12月31日 23:59

マントヴァ歌劇場


2012年12月31日をもって、マントヴァ歌劇場音楽監督職の任期を無事に満了いたしました。

今後は、Mantova Capitale Europea dello Spettacolo 財団の音楽監督として、 マントヴァ市の芸術振興に寄与していく所存です。


皆様、引き続き応援のほど、よろしくお願い申し上げます。



Mantova


MANTOVA.jpg




2012年10月28日 03:46

「緑綬褒章」


父が、平成24年度秋の褒章を受章する事となりました。
二十歳の時に決心してから、実に50年以上に渡って続けて来た
点訳ボランティアに対する緑綬褒章です。

(緑綬褒章:「自ら進んで社会に奉仕する活動に従事し徳行顕著なる者」に授与される。)



ryokuju-hosho.jpg

子供の時から、父が毎朝早く起きて点訳活動をする姿を見てきただけに、まるで自分自身の事のようにうれしく、そして誇らしく感じています。


私も、音楽活動を通して、世の中の役に立つような人生を送りたいと決意を新たに致しました。 皆様、これからも応援のほど、どうぞよろしくお願い致します。



2011年1月 1日 23:19

謹賀新年


あけましておめでとうございます。


2011年が皆様にとって素晴らしい一年となりますように!

2010年10月 3日 23:59

サラミ祭り?in マントヴァ


03102010.JPG午前中は、歌劇場支配人と、新しくオープンしたホテル、その名も "Hotel Rigoletto" でフェスティヴァル関連イベントについてのミーティング。期間中の劇場内外でのエスコート(ガイド)役のコスチュームにかなり凝ることに。

 

その後家に戻り、スコア(もちろん「リゴレット」)を勉強。夕方からまた外出。街に戻ってきた時にはすでに陽は暮れ、Palazzo Ducale(侯爵宮殿)の前を通るとかなりたくさんのお店が出ていて、ちょっとしたお祭りになっていました。これだけの賑わいは珍しいので、宮殿前広場にあるバールのご主人に"これは何のお祭りですか?"と聞いてみると、"年に一度だけ、それも一日だけのサラミのお祭りだよ"との答え。確かにこの街 マントヴァのサラミ は美味しくてイタリア中で有名ですが、、本当にそんなお祭りがあるのでしょうか(笑)? とにかく、イタリア中から(外国からも!)大勢の来訪者を迎えて街中がとても華やかな一日でした。

 

2010年1月 3日 23:55

Buon Capodanno 2010!

皆さん、明けましておめでとうございます!


就任記念コンサートも無事に終わり、1月1日付で マントヴァ歌劇場 音楽監督に就任いたしました。

 

長い歴史を誇るこの歌劇場の元旦は、この伝統的な行事 -ニューイヤーコンサート- を楽しみながら新年を祝うために集まったマントヴァ市民の皆さんでいっぱいとなりました。

 コンサートでは、休憩(Intervallo)なしに一気に 8 曲もの 序曲、間奏曲、ワルツ、ポルカ ecc... が演奏されました。 最後にアンコールとして「ラデッキー行進曲」を演奏しましたが、その前に、客席を振り向き: "Buon Capodanno! Io e l'orchestra augriamo a voi tante belle cose e felicissimo anno 2010!!"(明けましておめでとうございます! 私とオーケストラは、皆さんにとってたくさんの素晴らしいことを、そして最高に幸せな2010年となることを願っています!) と挨拶させていただいたのですが、、その時すぐに、聴衆の皆さんから舞台上の私たちに向けて "Grazie!"(ありがとう!)という言葉が帰ってきたことを、とてもうれしく思うとともに、このイタリアで一つの街の音楽監督に就任することの意味を改めて実感し、身が引き締まる思いでいっぱいとなりました。

 

今年の10月最後の週には、記念すべき第一回目となる リゴレットフェスティヴァル の開催が予定されています。 この音楽祭は、世界遺産でもあるこの街の魅力を全て余すところなく伝え、(ヨーロッパの他の都市におけるフェスティヴァルと同じように)今後、限りなく永遠に引き継がれていかれるであろう最も重要な文化行事の一つとして位置づけられ、街全体を挙げて着々と準備が進められています。私は、この音楽祭において、オペラ「リゴレット」の指揮を任されていますが、、さらに、大変名誉なことに、すべての音楽的イベントを監修、監督することになっています。この重責を、全力を尽くして果たしていくつもりです。

 

フェスティヴァルは、2010年 10月22日~31日に渡って開催されます。

みなさん、ぜひ、マントヴァでお会いいたしましょう!

 

2010年 新年

 

吉田裕史

 

2009年10月20日 00:36

マイナーチェンジ

IMG_0130.JPGブログのデザインをマイナーチェンジしました。


ヘッダー、プロフィール、リンクなどを変更してあります。

 

間もなく、HPもバージョンアップの予定です!

 

(写真はマントヴァ歌劇場)

2009年10月19日 09:24

秋の味覚・・・

ZIP-FMへの出演は、無事に国際電話もつながって、とても楽しく終えることができました。
中京地区にお住まいの皆さん、朝早めの番組でしたが、お聞きいただけましたでしょうか?
感想などありましたら、ぜひ、こちら まで。


さて、番組中、秋の味覚について質問があり、"たった今も栗を食べているところです。 栗と赤ワインはよく合うんですよ!" と、お話させていただきましたが、、もう一つだけイタリアの代表的な秋の味覚を御紹介します。


それは、なんといってもポルチーニ


この時期、イタリアへ旅行にいらっしゃる皆様、ぜひ御賞味ください(^-^)

皆様へ

 

2006年12月、『週刊新潮』に、「新聞辞令『イタリア歌劇場』首席指揮者は『詐話師』だった」という題名で、私がイタリア・ルッカ市の歌劇場に就任するというウソの話を捏造して報道させたという記事が掲載されました。ルッカ市における政情変化(市長更迭)、また歌劇場を取り巻く様々な状況の変化により、公演日程や演目まで決まっていたにも拘わらず、首席常任指揮者としての活動が実現しなかったことは事実ですが、これは就任決定後の事情によるものであり、私が最初からウソの話を虚構したかの如く書いた週刊新潮の記事は全くの事実に反するものであり、私は直ちに東京地裁に提訴しました。そして、第1審の東京地方裁判所は、私が就任決定を虚構したかのような記事内容が真実ではないと認定し、新潮側の「真実性の抗弁」を退けましたが、他方で、新潮側は一応取材を尽くしていたとして、新潮社の誤信には相当の理由があるとの「相当性の抗弁」を認め、結論として私の請求を棄却しました。しかしながら、週刊新潮側は到底適切な取材を尽くしていたとはいえない状況であり、誤報の責を免れることはできないと考え、私は東京高裁に控訴しました。そして、東京高裁において、当事者双方の主張を見た上で主任裁判官からの提案があり、平成21年9月16日に和解が成立し、東京地裁が週刊新潮の私に関する報道内容の一部を真実ではないと認定したことを前提に、新潮側がこれについて私に対して遺憾の意を表しました。

 

裁判期間中は、裁判戦略上の判断もあり、皆様に情報をお伝えすることができませんでした。そのため、あたかも私がウソをついたかの如く報じたこの新潮の誤報により多くの皆様にご心配をかけたと思いますが、新潮側がこの点について謝罪したことで、皆様方にもご安心頂けるものと思います。私自身も、このようないい加減な記事により音楽家としての名誉を大きく傷つけられてしまったことには未だに憤りを禁じ得ませんが、新潮側に謝らせたことで一つの区切りをつけ、今後も、今までと変わらず音楽家・指揮者として研鑽を積み、必ずや素晴らしい音楽を皆様にお届けしていこうと固く決意しております。今後ともご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

 

なお、記事の中で「ローマの実業家」「イタリア在住の音楽家」と名乗る者が実は同一人物であることが裁判の過程で明らかとなり、かつ、その者が虚偽の情報を新潮社に提供した事実が示されました。この件につきましては、追ってオフィシャルWEBサイトに情報をアップしていく予定です。

                                                      2009年9月25日      吉田裕史

2009年7月 1日 10:42

奨学金

このブログは、できるだけ"その出来事が起きた日付"でアップするようにしています。
そのため、少し遡って記事をアップすることがあります(笑)


さて、今日はイタリア文化会館(外務省管轄)からの依頼によってイタリア政府奨学金音楽部門の審査員を務めてきました。音楽部門奨学金応募者の総数は、受給延長希望者も含めて7人でした。


主に声楽分野での応募が多かったのですが、ピアノの方も一人いらっしゃいました。前日(6月30日)には、語学試験(面接)があったのですが、皆さん、本当によくイタリア語ができます。


実技試験後の、各部門の審査員全員による合否会議では、"できるだけ多くの方に留学の機会を与え、才能ある若者たちを支援しましょう!"という一致した見解の下、とても真剣に論議が交わされました。


審査をしながら、私自身、いくつかの奨学金をいただいたことを、感謝の気持ちとともに感慨深く思い出しました。ドイツやイタリアで心おきなく留学生活を送ることができたのも、奨学金をいただいたお陰でした。選考試験を受ける度に、(人生がかかっていた)その合否の通知を、ドキドキしながら受け取ったこと、、今となっては良き思い出です。


合格された皆さん、どうか実り多き留学生活を送ってください!


そして、これからも、多くの若者たちが夢をあきらめずに、実現に向かって果敢にチャレンジして行くことを期待しています。

2009年6月26日 01:52

La vita è bella! その3

「一身の独立あって、国家の独立あり」


明治維新の頃のある日本人の言葉です。


この "独立" という言葉が単なる地理的、領土的な意味を示しているのではないことは自明の理です。


さらに踏み込んで、「国家の(真の)独立あって、世界の平和あり」とも言えるのではないでしょうか。


翻ってみて、私たち音楽家も、芸術を突き詰めるためには、真の意味で独立していなければなりません。


感動を生み出すためには、常にクオリティーを追求していかなければなりませんから、すべてにおいて超越し、芸術的成果を求め続けるという姿勢を貫く必要があります。


そのためにも、国家、民族、宗教 etc... を超えて "独立" していなければ。


間もなく、2009年も後半に入りますね。

2009年3月25日 13:19

La vita è bella! その2


「男子三日会わざれば、刮目して見よ」(士 別れて三日なれば、刮目して相待すべし)


"日々精進し研究と前進を繰り返す人は、三日も経てばもう目を擦ってみないと判らないほど進化しているものだ。"


日々を大切にし、少しずつでも精進していきたいと思います。


そういえば、その1をアップしたのはいつだったでしょうか(笑)?